Brigeのこれまでとこれから


Bridgeの変遷                             20011年7月15日

Bridgeは、兵庫県立大学の野津隆志教授を顧問に兵庫県立大学学園都市キャンパスの学生を中心に形成された東日本大震災の復興支援活動を主としたボランティアサークルとして結成された。
 震災が起きた直後から、野図教授と数人の学生、兵庫県立大学のOGなどで神戸市新長田のNPO(定住外国人支援センター)の支援活動に参加。兵庫県立大学の入学式では地域の中学生と一緒に募金活動を行い、ビラを配布して支援物資の呼びかけを行う。その後、兵庫県立大学内に、支援物資の保管場所を確保し、現在も物資保管所・ミーティングルームとしてBridgeの中核となっている。
 2011年5月には活動が多様化・活発化し、学生組織として組織化、「Bridge」としての活動を開始。NPO団体と連携し、神戸市に避難されたご家族への物資支援・定期訪問を継続。5月頃からは、東北へのメッセージづくりを開始し、6月には南三陸町へボランティを派遣、現地へ向かったボランティ達を中心に、関西で学生が出来るボランティア活動とは何かを模索するようになり、“東北との繋がりを大事にしながらも、継続的に行える支援を” という意識が高まる。
現在ではBridge登録メンバーは40人を超え、新たな組織作りが急がれる一方で、地域のボランティアイベントにメンバーを派遣し、多くの情報と実績を積むために日々努力を続けている。


野津教授のコメント



ブリッジに期待すること                      2011年7月13日 野津隆志
 ブリッジは2011年6月にようやく名まえが決まり、離陸したばかりの学生サークルだ。けれども、参加学生の熱意と協力によって急速に進化してきた。
 6月10日に韓国から移送された14トンの支援飲料水(韓流水と呼んでいる)を搬入したのが最初の正式活動で、その翌週には、南三陸町への炊き出しボランティアとして参加した。さらに現在では、神戸に居住されている被災家族への支援物資集め、韓流水の販売など、立て続けに活動の範囲を拡大している。
 もともとブリッジの活動の発端は、今年4月5日の本学入学式で震災支援募金を私と私のゼミ生が始めたことだった。そのとき参加したのはわずか数名だった。私はこれから活動はできるのだろうか、ボランティアに興味を持つ学生はいるのだろうか不安に思ったことを覚えている。
 しかし、ゼミ生を中心にどんどんブリッジに参加する学生は増えていった。7月の今は参加学生は40名にもなった。私が声をかけた学生のほとんどがいやな顔もせずごく自然に活動に参加してくれたことをとてもうれしく思っている。
 6月に南三陸町に学生たちと行ったとき、見た町の風景は、3月にテレビニュースで見た壊滅状態のままだった。あまりの被害の大きさと、3ヶ月経った後でもまったく復興が手つかずの状態であることを目の当たりに見てことばもなかった。
 東日本の震災からすでに4ヶ月が経った。現在、ニュースで見る被災地の様子は、やはりまだ復興の兆しも見えず、ますます困難な状況が出現しているように見える。こうした困難さに今直面しているたくさんの人がいる。
 学生にはそうした人たちの抱える苦痛への想像力を持ってほしいと思う。そして、そうした想像力を元に被災地と自分が今立っている場所とどうつながっているのか、今、大学生として学ぶ自分たちにとってどういう関わりができるのか考えてほしいと思う。学生がブリッジのボランティア活動を通して学ぶことは数切りなくある。ブリッジの活動は学生自身の経験を鍛え、大学の教室で学んだ知識を応用する大事な機会となるだろう。自分の大学での学びが進化し、それが困難な現実にある人たちに少しでも役に立つのであれば、それは学生時代の得難い貴重な経験となるだろう。今後のブリッジのいっそうの飛躍に期待している。



Bridge代表者コメント



2011年7月16日 松江雄祐
東日本大震災復興支援サークル“Bridge”でリーダーをさせていただいています、経済学部4回生の松江雄祐です。
2011年3月11日の東日本大震災発生から早くも4ヶ月が経ちました。
「自分にも何か力になれることはないだろうか」「自分も何かの役に立ちたい」
私自身、そんな思いからこのサークルの立ち上げに携わり、今日に至ります。
部員も2回生、1回生を中心に30名以上集まり、サークルとしての基盤が固まりつつある今、私もリーダーとして、より一層身を引き締めていかなければと思っている所存であります。
さて、私も、6月18日から20日にかけて、兵庫県生活応援プロジェクト主催の宮城県南三陸町炊き出しボランティアに参加させていただきました。
「復興の主役はあくまで被災者であり、ボランティアはそのサポート役である。」
この言葉は、炊き出しボランティア参加者の一人がおっしゃっていた言葉ですが、私の中に最も響いた言葉であり、また、考えさせられた言葉でありました。
 表現に語弊があるかもしれませんが、不要な物資が山積みとなっている一方で、三ヶ月以上も高校の柔道場に布団を敷いて生活されている被災者の方々が今なおたくさんいらっしゃるという現実を目の当たりにするにあたっては、やはり支援者側の「こうしてあげたい」「ああしてあげたい」という自分たちの価値観だけで活動を行うのではなく、しっかりと被災者側のニーズを把握・分析した上で活動しなければならないということを、身を持って感じましたし、今後、活動を進めていく中でも、考えていかなければならないことだと思いました。
私たちは、学生主体の震災復興支援サークルとして、今後とも「被災者を思いやる」復興支援活動に励んで参りますので、引き続き皆様の温かいご支援をお願いいたします。



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